NPO日本移植支援協会

専門家の意見

添田 英津子 先生

慶応義塾大学病院
移植コーディネーター
添田 英津子 先生


2014年

 「十センチ歩く木」
  「地球のどこかで 一年に十センチ歩く木があるという 歩きたいと願った木の意志が 動かないものを動かす
   そこしれない力 木が願わないでなしえるものか」

これは、「十センチの平和」(白根厚子詩集、らくだ出版、2008)という詩の一部で、脳死下に臓器提供をなさった女性のお父様から教えていただいたものです。初めて読んだとき、「えつ、木が歩くの?しかも、十センチも歩くってどういうこと?」と、私の頭はハテナ“?”でいっぱいになりました。早速、インターネットで調べてみたら、本当に「歩く木」はあるそうです。
 とは言いながらも、実際に「歩く木」が歩くのを実際に見ないと信じがたいことですが、この詩は、二つのことを教えてくれているような気がします。それは、夢の実現に向けて「願うこと」の大切さと、その願いを具体的に実現させるために1センチでも良いから歩くように「努力すること」の大切さです。

私が日本移植支援協会の高橋理事長と始めてお目にかかったのは、2000年の頃でした。それまで、移植の支援活動と言うと、なんとなく重たい雰囲気のものでした。それは、生命の大切さを思えば当然のことであり、脳死という概念がまだ理解されていないころにはその方があるべきカタチだったのかも知れません。しかし、日本移植支援協会の活動は、歌があり踊りがあり、有名人からのメッセージがありと多彩に飛んでいました。なんといっても、小難しい医師たちが、高橋理事の弾丸トークに押されている様子が、印象的でした。

改正臓器移植法が施行されてから、脳死の臓器移植は以前に比べると多くなりました。しかし、私が従事している肝臓移植や腎臓移植においては、10年20年前に移植を受けた方々の中には、徐々に移植した臓器が疲れ始めている方がおられます。特に、生体肝移植を受けた子どもたちにとって、再移植が必要となれば、2度目の生体肝移植は難しい状況となります。生まれながらに病気を持っている子どもたちは、家族の愛をいっぱい受けながら、とても健気に生き育っていきます。そういう子どもたちが、もう一度移植を受けることすら大きな心配事であるだろうに、さらに生体ドナーの心配をしなければならない状況は、本当に心苦しいものです。現在の状況では、このような子どもたちを助けきれないかも知れません。

高橋理事と初めてお目にかかった時から、約15年が過ぎようとしております。高橋理事はじめ多くの親御さんと一緒に願った、「日本における臓器移植医療の発展」については、振り返ってみれば,その木(願い)は、ゆっくりとした歩みではありましたが、確実に前に歩いてきたと思います。しかし、その歩みをここで止めてはなりません。まだ、小児の臓器移植、日本で保険適応されていない小腸移植の問題、海外で始まった子宮移植への挑戦などなど、課題はいろいろあります。これからも、高橋理事はじめ皆さんと心を一つにしながら、移植医療の発展のために前へ前へと歩いていきたいと思います。




2004年
「移植さえできれば・・・」という願いは、臓器の末期状態にある患者・家族と、その患者・家族を支える医師・看護師などの医療従事者にとって長年の夢でした。なかなか進展がなかったわが国の移植医療の歴史のなかで、さまざまな難問題が忍耐強く研究され、討議された結果として、今日の移植医療があります。

日本移植支援協会は、発足当時より海外への渡航移植を支援しながら、常に移植医療推進活動の最前線で活動されていました。患者さんと海外渡航に向けて離陸する際の何ともいいようの無い悲しい気持ちがせめて救われるのが、渡航を全力で支援してくださった皆様のあたたかい言葉でした。

移植医療が他の治療と異なる点は、移植を受けるには臓器提供者から臓器をいただかなければならないということです。それは、移植とは、人と人との関係で成り立つという必然的に感情的な治療であることを意味します。患者さんにとっては、移植を受けるか受けないかという決断は、自らの「生命(いのち)」について考えるだけではなく、人と人との「きずな」についても考えることにもなります。

大抵の患者さんは、いつ訪れるかわかならない死を意識されながら、孤独に悩まれているわけです。一方で、臓器提供者とその家族がいらっしゃいます。病気や突然の事故で脳死状態になり、生前の意思のもとに臓器を提供なさる脳死/心停止ドナーや、家族のために臓器あるいは臓器の一部を提供なさる生体ドナー、また、自らも移植を受けつつ、ほかの誰かへの臓器を提供されるドミノ移植の生体ドナーもいらっしゃいます。

愛するものの死や病気という最悪の状況のなかで、「誰かの喜ぶ顔が見たい」というまったくの善意によって臓器提供が成り立つのです。その方々の勇気から、私たちは「生命(いのち)」の大切さと「きずな」の大切さを感ぜずにはいられません。2010年7月、新移植法が施行される予定です。

ようやく日本でも欧米並みの移植医療ができるかも知れません。しかし、その前進のためには、これまで以上に「生命(いのち)」を大切にすることはもちろんのこと、「誰かの喜ぶ顔が見たい」と善意で臓器提供をして下さるドナーとその家族との「きずな」に感謝することが大事でないかと考えます。日本移植支援協会のさらなる発展を祈るとともに、「生命(いのち)」と「きずな」の移植医療を応援していきたいと思います。

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