NPO日本移植支援協会

専門家の意見

藤田 士朗 先生

沖縄赤十字病院
新里 譲 先生

移植に関わって思うこと

私は循環器内科医です。1998年に16歳の男子高校生が私の勤める病院を受診しました。心不全でした。精査の結果は特発性拡張型心筋症ですでに末期に近い状態でした。予後は極めて悪いと推定され、「20歳を迎えられないかもしれません」とご家族には話しました。ただその前年に臓器移植法が成立していたため、その少年のご両親には「予後は悪いが最終的には移植という方法があります」と説明はしたものの、その可能性は極めて低いだろうと私自身は思っておりました。

頻回に入退院を繰り返し高校を卒業直後の入院では循環補助の器具が装着されもはや退院は不可能となりました。改めて「移植以外には(助かる)方法はありません。移植を希望されますか?」と問うと「お願いします」との返事。間もなく国立循環器病センターの移植検討委員会から心移植適応と判断されました。沖縄から大阪へは専用ジェットをチャーターせざるを得ませんでしたが無事転院。望みをつなぐ転院でしたが、感染症等重篤な合併症を併発。国内での移植の可能性は極めて低いと考えた本人、ご家族は海外での移植を決断しました。多額の費用は募金に頼るしかありませんが当時は遅々として進まず、デポジット(当時は7000万円)を確保するのに約3年を要しました。現在は世間に移植医療が浸透し募金も当時に比較すると速やかに目標額に達しているようです。渡米3か月後にドナーが現れました。あれから17年が経過し、全くと言っていいほど合併症もありません。高校時代は大変やんちゃだった青年が、今は立派な社会人としてそして父親として(結婚し2児をもうけました)頑張っています。

臓器移植法成立後の1999年のわが国での心移植再開第一例目は刻一刻報道されました。それだけ特別な医療であったわけですが、当時に比べれば現在は普通の医療として心移植が社会に受け入れられてきた感があります。ただ2010年に臓器移植法が改正され移植数は明らかに増加しましたが、登録者もそれ以上に増加しており依然としてドナー不足でその恩恵に預かれる患者さんは一部に過ぎません。今後、iPS細胞関連の進歩にも大きな期待をするのですが、まだまだ末期心不全は移植に頼らざるを得ません。今後ますます社会の理解が深まりドナー不足が少しでも解消されることを切に期待します。

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