NPO日本移植支援協会

専門家の意見

杏林大学循環器内科
特任教授
佐藤 徹 先生

16歳女性の渡航肺移植治療を経験して

私は昨年度まで循環器内科医として、都内の私立大学医学部の病院で診療に当たっておりました。そこで経験したアメリカで渡航肺移植を行った患者さんの経験をお話しさせて頂きます。 患者さんは肺高血圧症という難病に中学1年の時に罹り、私の外来を受診されました。小児科に罹るはずですが専門家の少ない珍しい病気のため私を受診されました。

この病気は、本来は難病で死亡率が高かったのですが、この20年ぐらいの間の医学の進歩で最近は大変改善度が高くなり、直る方もみられるようになって来ました。しかし、彼女の場合には特効薬の副作用や、若いためにどうしても運動量の制限が難しく、改善が不十分で徐々に悪化して行きました。しかし、勉強は頑張って高校は目標校にパスしたのでしたが、高校1年の秋には入院安静を続けないと悪化を食い止められない状態となってしまいました。 そこで、我々主治医チームが考えた治療方針は海外渡航肺移植でした。もう1年以上前に日本国内の死体肺移植の登録は済ませていましたが、日本での待機期間は3年以上でしたのでとても移植の順番を待つのは厳しかったのです。

資金は募金以外にはなく、そこで肺高血圧症の患者会に募金を集める支援を打診しました。快く引き受けて頂けたのと、その後の支援に関しては想像を絶する大活躍をして頂きました。あらゆる情報網を駆使して募金(億単位の費用が必要)及び更に渡航の準備に至るまで、完璧な、しかし血のにじむような工程であったと思います。特に責任者のお一人は、自分も同様の病気の方で(治療である程度改善はしていましたが)、精神的、肉体的に大変であったと考えます。誠に申し訳ないのですが、私は医学的なことだけに集中させてもらいました。 まず、どこで移植をするか決定しなくてなりません。費用、移植外科医の技量、現地での支援体制等を総合して決めなくてはなりません。次は移植外科医に依頼する仕事です。通常のメール連絡等では返事をもらうことは難しく、有力な仲介者を探すことも必要です。連絡が出来るようになってから患者さんのデータを送るのですが、優秀な外科医ほど手術適応に合致しているかどうかの選別を厳しく行います(勝算のない勝負は絶対にやらないのです)。

特に、外国からわざわざやってくる患者さんには厳しいので、その説得のため追加検査やら追加のメールが何度も必要でした。 そうして渡航許可をもらい、次は渡航の準備となります。ちょうどコロナ危機の前でしたが、アメリカ政府が外国人の渡航を制限している時期で手続きが予想以上に大変でしたが、「救う会」の方々に尽力いただきました。ボランティアの看護師さんにも頑張って頂きました。 そして実際の渡航となりました。病院から羽田空港までの移動方法、チャーター機を使用したのですが機内での患者さんの過ごし方など、重症患者さんにとっては細かい点まで病状を悪化させない為に重要です。チャーター機は飛行可能時間が短いため何度も着陸し、そのためアラスカにも数時間寄港しましたが、その時の白夜は忘れることが出来ません。

現地に着いてからは、病状を理解してもらい、確かに移植適応であること、そのためにどのような問題点があるかということを移植先の医師に分かってもらう必要がありました。朝のカンファランスでのプレゼンテーションから、執刀医とのディスカッション、血液疾患もあるため、訪問してくる血液内科のコンサルタントと治療方針の検討など、大変でしたがスルーズに方針や治療計画が進んでいきました。一番の幸運は、執刀医が非常に技量の高い外科医で、またブラジル出身で何と日系ブラジル人を母に持ち日本に厚意をもってくれたこと、現地に大変熱心な日本人が居て、徹底して援助してもらったことなどでした。そして、渡航から1週間でドナーが出たため移植手術なり、術後経過も極めて順調でした。現在では元気となり、ほぼ通常の高校生生活を送っているようです。 この海外渡航移植に関しまして、発足、全体の計画、準備、そして実行に渡るまで、「救う会」を筆頭に、関係した総ての方々の協力と熱意、努力の賜物と強く思うと共に、深甚なる感謝とお礼を申し上げたいと思います。

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