NPO日本移植支援協会

専門家の意見

松本 伸行 先生

聖マリアンナ医科大学病院
消化器肝臓内科
(平成19年)
松本 伸行 先生

最初に告白しなくてはいけない事があります。私は肝臓内科医としては恥ずかしながら、移植後の患者さんの Quality of Life( QOL) の向上について誤った認識を持っておりました。即ち、移植医療の発達により、移植手術後の患者さん及びその御家族がどれほどの恩恵を受けるのか、その恩恵の大きさを十分に認識しているとは言えませんでした。

その認識を変えてくれたのが、プロスノーボーダーのクリス・クルーグ氏です。彼は原発性胆汁性肝硬変に罹患して肝移植を受けました。そ して術後たった数ヶ月で現役に復帰し、18ヶ月後のソルトレイク 冬季オリンピックで銅メダルを獲得しました。米国留学中に彼の自伝と出会った時、彼の強い心と、純粋な感謝の気 持ちに感動すると同時に、大きな衝撃をうけました。

そして、「自分が日本で行ってきた医療は正しかったのだろうか」「移植医療の門が大変 狭くしか開かれていない事を理由にするだけで、それをこじ開ける努力を怠っていたのではなかろうか」と自問する事となりました。その反省を一つの動機として、クルーグ氏の自伝『To the Edge and Back』を翻訳する事を決意し、2007年2月「奇蹟が僕に舞 い降りた」という邦題で出版致しました。一方で、2005年に帰国した私は、留学中の数年間で肝移植治療 が日本の医療者にとって以前よりずっと身近になった事を感じました。

そして、劇症肝炎の患者さん等において、移植医療の奇跡を実感する 頻度がふえたのと同時に、様々な理由で肝移植という治療選択肢を閉ざされてしまう患者さんを目の当たりにする事も増えているように感じます。後者のような事例の最大の原因は、一般の人々の意識と現状との ギャップに起因する、深刻なドナー不足にあると思います。世界では珍しい事に、日本では生体肝移植が肝移植の主流となっています。そして、生体肝移植手術の件数は年々増加の一途をたどっており、1995年には年間10例だったのが、2005年には年間561例まで増えて来ております。

一方、脳死肝移植は10年近くの間に、ようやく第50例目の手術が施行されたに過ぎません。肝移植手術によって救われる患者さんを増やすためには、脳死ドナー からの肝移植を増やす事が必須だと思います。まずは健康な人たちの間で、脳死の臓器移植についてオープンな議論 が広まる事が大切だと思います。そのためには、移植医療が、暗い事件 の時のみでなく、普段の会話の中で語られるようになる事が必要なのだと思います。

たとえば、臓器提供意思表示カードを持つ事についてですが、臓器提 供をしたくない人にももっと持っていていただきたいと思います。臓器提供意思表示カードは「意志」を「表示」するものですから、臓器提 供に反対の人も持っていて良いものです。臓器提供に賛成の人も反対の 人も、お互いの意見を押し付ける事なく、この問題について、多くの人 たちにご自身の立ち位置をしっかりと見つめていただきたいと思います。そうする事で裾野がひろがり、移植医療の山が高くなって行って欲しいと思います。

最初に述べました通り、私は移植後の患者さんのQOLの向上に ついて誤った認識を持っておりました。けれども、もしかすると、意味 合いは多少違えど、同様の事が患者さんにも言えるのかもしれません。クリス・クルーグ氏はニューヨークのマウント・サイナイ医科大学の 講演でこう語ったそうです。「私は自分の具合がどれほど悪かったの か、移植をうけて初めて認識できました。」申すまでもなく、日本における移植医療の現状はこの他にも解決すべ き課題を抱えているものと思います。現時点で私達の施設では肝移植医 療を行っている訳ではありませんが、私は、現存する数々の問題が一つ 一つ解決され、一人でも多くの患者さんが、クルーグ氏と同様の気持ち を実感できるようになって欲しいと思います。

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