NPO日本移植支援協会

専門家の意見

川合 明彦 先生

せんぽ東京高輪病院
心臓血管外科部長
川合 明彦 先生

臓器移植法改正が行われ、平成22年1月17日から臓器の家族への優先配分が実施可能となりました。7月17日からのドナー対象年齢拡大に向けて、実際の運用面でのガイドライン作りが行われています。私も審議会の班員として1997年に臓器移植を日本で開始したときの公開性、公平性の原則を毀損せずに新しい運用ガイドラインを作成するべく携わらせていただいています。

移植医療において医学的な側面は、日本も欧米も変わることはありませんが、ドナーからの臓器提供はそれぞれの国の文化や倫理観に配慮がなければ受け入れられることも、日常臨床の一部として根付くこともできないと思います。医療とは無関係な一般の方でも、病める人の命を救うことができるという臓器移植の本質は世界中で共通ですが、臓器提供が、亡くなった方に対するさらなる負担であると考える方も日本には多くいらっしゃいます。特に小さなお子さんを亡くされた御両親ではその気持ちはなおさらでしょう。そのつらい気持ちを超えて臓器提供していただくためには、いくつかの条件があると考えています。

まず臓器提供について家族の自由意思に基づく合意があり、その合意は提供者の気持ちに沿ったものであること。死生感は個人的なものであるから、臓器提供することも、しないことも自由であり、どちらの決定も尊重されるべきであるという社会の合意が得られること。臓器移植を行う施設が移植をしてみたいという施設ではなく、移植を行う知識、経験、能力を確立している施設であること。つまり提供者と家族の自由意思に基づく臓器提供の意志に対し、社会がその毅然とした勇気に尊敬の念を払い、その崇高な決断を公正な脳死判定のもとに次の命へと繋ぐことができるまともな移植施設があることであろうと思います。

今の日本はまだこの条件と満たしているとは言えません。小児の臓器提供は移植先進国である米国ですら大変少なく苦労しました。 この日本で果たして提供があるかどうわかりません。でも、だからといって失望するのではなく、だからこそ今やらなければならない時考えて、こぼれ落ちそうな命をひとつずつ紡いでいけるように社会に継続的に働きかけていくことが必要だと思います。

1969年7月20日アポロ11号が月の「静かな海」に着陸しました。同じ年にテキサスの病院で初めて人口心臓が臨床応用されました。この二つの大きなプロジェクトは、1961年にケネディ大統領が議会での演説で米国は1970年までに月に人を送り、人口心臓を開発して人に植込むと宣言し、それが実現されたものでした。その後アポロ17号まで6回の月着陸を成功させた計画は、現在のスペースシャトルへと受け継がれています。心臓移植は1967年から始まりました。

世界中で競い合うように心臓移植が行われた時期もありましたが臨床成績があまりよくなかったので、70年代に心臓移植をやめてしまう施設が数多くありました。その心臓移植にとって暗黒の時代と呼ばれた70年代の米国で心臓移植を続けていた二人の外科医がいます。スタンフォード大学のシャムウェイ教授とピッツパーグ大学のバーンソン教授でした。1981年の免疫抑制剤シクロスポリンの発見で移植医療の成績が向上し、心臓移植は重症心不全の治療として再認識され、1990年代以降は内科的治療の限界となった重症心不全治療の標準的方法として米国の治療ガイドラインに記載されるようになりました。一方、人工心臓の開発移植に比べると遅々として進みませんでした。抗血栓性材料、植込み機器の耐久性、感染症予防などが主な問題でした。

80年代後半に自分の心臓は摘出しないで装着する補助人工心臓が開発され、さらにそれを移植までの待機として使用するブリツジという概念が確立するにつれて初めて人工心臓が現実的な治療手段となりました。補助人工心臓は腹部などにも植込むことができるため設計の自由度が広がり、移植までのブリッジであれば機器の耐久性も問題とならないと考えられるようになりました。

また軸流ポンプ、遠心ポンプといった本来工業用の無拍動流のポンプが拍動流を作る心臓の補助として問題ないことがわかり、ポンプの性能向上、小型化が進みました。重症心不全の治療に対して私たちは技術の進歩から現在多くの治療手段をもつようになりましが欧米では使える高性能の小型補助人工心臓はまだ許可されておらず、移植も臓器提供が少ないために欧米では助かる命が日本では日本では救えないことがしばしばあります。そのような厳しい状況ですが、過去2年間を振り返ると臓器提供は少しずつ増えてきています。

小型の補助人工心臓も臨床治験を終わって2-3年後には一般的に使えるようになると思われますす。渡航移植のための募金に多くの方が参加してくれている社会の様子を見ていると、患者さんたちに社会が無関心ではないこしがわかります。その社会の関心がドナーカードについて考え、自分と家族の命、そして今失われるかもしれない”誰か`の命について考える時間につながることを期待しています。

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