NPO日本移植支援協会

専門家の意見

星野 健 先生

市立札幌病院
救命救急センター
鹿野 恒 先生


2017年

 私は2004年に初めて臓器提供に関わったが、そのときの事は今でも鮮明に覚えている。若い女性が事故で脳死状態となり心停止後の腎臓提供を行なったが、お見送りの際に、お父さんから“これで娘は生きていきます”と言って手を握っていただいた。それまで、ただひたすら目の前の患者を助けることだけを見つめ10年以上救急医療に携り、患者を助けられなかった時にはその喪失感や自分の無力さを痛感していた私にとって、大変衝撃的な言葉でした。“救急医療の先にも、まだできることが残されている”と感じ、救急医療終末期の中で臓器提供に関わっていこうと心に決めた瞬間である。

 それからはや12年、脳死下臓器提供10件、心停止後腎臓提供38件、その他にも皮膚や眼球提供を含め50件以上の臓器組織提供に関わってきたが、そこで見えてきたのは、“日本人には尊い臓器提供の意思がたくさんある、ただ私たち医療機関がその意思を汲み取る事ができていない”という事であった。そこで欠かせないのは、医療者側からの“臓器提供の意思確認”である。しかし、助けて欲しいと搬送された患者の家族を目の前に、臓器提供のお話をするのは容易な事ではない。なぜなら欧米とは異なり、日本は“脳死は人の死”ではないのである。誤解されやすいが、日本において“脳死が人の死”となるのは脳死下臓器提供の時だけである。手も温かく、心臓も自分の力で動いている患者に対して、家族が脳死状態を十分に理解するにはそれなりの時間が必要となる。

 私たちの施設では、患者が脳死状態となった場合、できるだけ静かな部屋に患者を移動し、本人が元気であったときの思いや家族の希望を少しでも叶えられるように配慮している。患者のベッドやその周囲には思い出の品々が並び、家族は看護師とともに洗髪やシャワーを行なったり、暖かければ人工呼吸器を装着したまま外へ散歩に行くこともある。そのような時間を過ごしながら、希望のひとつとして“臓器提供”についてもお話させていただくのである。そして、決断を家族だけに委ねるのではなく、家族とともに悩み、今まで経験したいろいろな家族の決断についてもお話することもある。ちなみに申し上げておくと、私は今までに1例たりとも臓器提供を勧めたり説得したことはない。それでも臓器提供の承諾率が6割を超えているのは、日本人には臓器提供の意思が少なくない事、そして私たち医療スタッフが“最期まで家族に寄り添う”というスタンスを貫いているからに他ならない。以前より臓器提供推進のために欧米の方法論を導入する動きも見られるが、決して成功しているとは思えない。ここは日本である。脳死や死に対する日本人の感覚がある。私は日本人に対する、“日本人のための臓器提供”があってもいいのではないかと思っている。

 私たちの救命救急センターの搬入件数やスタッフ数は中規模である。全国に250を超える救命救急センターがあり、それ以外にも臓器提供施設がある。私たちの施設で年間平均4件の臓器提供があることを考えると、全国で年間1000件以上の臓器提供があってもおかしくない。臓器提供の課題は、救命救急医療のなかで、亡くなりゆく患者や家族に対する終末期医療を充実させることであり、その事によって臓器提供は増えていくはずである。臓器提供は“増やす”ものではなく、自然と“増える”ことが健全な医療ではないだろうか?

 最後に私はできる限り、臓器提供されたご家族のもとを訪れるようにしている。それは、家族にとって、限られた時間の中で決断された臓器提供を後悔していないか心配だからである。幸いにして今まで後悔されたご家族はいない。そして、臓器提供の際にご家族とトラブルになったことも一度もない。私たちの施設が誇れるのは、臓器提供の“数”ではなく、臓器提供の“質”である。 そんな医療をこれからも続けていきたい。

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