12月21日(金) 秋田さきがけ新聞



12月13日(木)日本経済新聞



10月2日(火)茨城新聞本社訪問の記事が3日に掲載されました 



 「プロレスリングノア試合会場での啓発活動が紹介されました
富山新聞 2012年7月17日(火)



 6歳未満脳死判定 15日摘出手術、移植へ 「息子誇りに思う」
産経新聞 2012年6月14日(木)
日本臓器移植ネットワークは14日、富山大病院に低酸素脳症で入院していた6歳未満の男児に脳死判定が行われ、脳死と判定されたと発表した。15歳未満か らの臓器提供を可能にした平成22年7月17日の改正臓器移植法の施行後、15歳未満の脳死判定は2例目。より厳格な脳死判定基準を適用する6歳未満では 初めて。
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「移植支援チャリティコンサート」にスペシャルゲストとして出演した、演歌歌手・ジェロさんの記事が掲載されました。
日本教育新聞 2012年3月5日(月)



 「移植支援チャリティーコンサート」に出演した、演歌歌手ジェロさんの記事が掲載されました
世界新報社 2012年2月16日(木)



 2006年2月にアメリカ・デンバーにて心臓移植した、雲雀英行さんが20才を迎え成人式に参加した模様が掲載されました
秋田さきがけ新報社 2012年1月10日(火)



 「臓器移植の現状学ぶ」、当協会の啓発活動の模様が掲載されました
読売新聞 2012年2月10日(金)












「小宮山厚生労働大臣へ要望書を提出」 / 日本教育新聞




















「古家菜沙ちゃんが紹介されました」      朝日中学生ウイークリー 2011年(平成23年)6月5日(日曜日)



15歳未満、初の脳死移植へ =家族が承諾「命をつなぐ」―心臓は10代少年に
  <時事通信2011.4.12>
日本臓器移植ネットワークは12日、関東甲信越地方の病院で10代前半の少年が家族の承諾に基づき、脳死と判定されたと発表した。昨年7月に改正臓器移植法が全面施行され、15歳未満の脳死移植が認められており、国内で初めて子どもからの脳死移植が行われる見通しになった。心臓は大阪大医学部付属病院で10代の少年に移植される。他の臓器は各地の病院で20代から50代の患者に移植される。

移植ネットによると、少年は交通事故で頭部に重傷を負い、12日午前7時37分に法的脳死と判定された。家族は心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)の提供を承諾、摘出手術は13日未明に始まる。
少年の意思は不明だが、親族に優先的に提供される移植ではないという。家族はこれまで臓器移植について話し合ったことはなかった。主治医が8日に脳死と判断、家族は移植ネットのコーディネーターから2回、計3時間半にわたって説明を受けた。

移植ネットによると、脳死判定を行った病院では、虐待防止委員会がマニュアルに従って少年に虐待がないことを確認したという。ただ、移植ネットは、具体的な確認方法について明らかにしなかった。また移植ネットは、家族の希望として、交通事故の具体的な状況や脳死判定施設の名前などの詳細を公表しなかった。

両親は移植ネットを通じ、コメントを発表。「息子は将来、世の役に立つ大きな仕事をしたいと言っていた。臓器提供があれば命をつなぐことができる人たちのために彼の身体を役立てることが、彼の願いに沿う」とした上で、「一部だけでも彼がどこかで生き続けると考えると、彼を失ったつらさ、悲しみから少し救われるような気がしています」としている。家族承諾による移植は39例目。



持田夫妻が読売新聞、埼玉版に掲載されました 2011年(平成23年)1月12日(水曜日)



1月8日 「プロレスリング・ノア」の主催するリング上での「中込空くんを救う会」への募金活動の模様を取材いただきました
世界日報社 平成23年(2011年)1月11日(火曜日) 掲載



2010年11月10日(水曜日) 静岡新聞



2010年8月25日(水曜日) 毎日新聞



2010年8月25日(水曜日) 毎日新聞



2010年8月24日(火曜日) 讀賣新聞



2010年7月17日(土曜日) 讀賣新聞



2010年7月14日(水曜日) 日本経済新聞



2010年6月30日(水曜日) 讀賣新聞



2009年7月13日(月曜日) 産経新聞



2009年7月1日(水曜日) 讀賣新聞



2009年6月18日(木曜日) 讀賣新聞



2009年6月17日(水曜日) 讀賣新聞、日刊スポーツ、東京新聞

三沢さんを日本移植支援協会が特別表彰 / 日刊スポーツ 2009年6月17日
 三沢光晴さん(享年46)が、日本移植支援協会から特別表彰を受ける。臓器移植の認知度アップに貢献したことをたたえるもので、7月予定の追悼イベントで、感謝状が贈られる見通しだ。

 同協会の高橋和子理事(56)によると、三沢さんは、00年に兄貴分と慕ったジャンボ鶴田さんが肝臓移植の手術中に急死したことを機に、臓器移植に強い興味を示すようになった。興行会場でドナー(臓器提供者)登録を呼び掛け、機関誌の表紙に登場したり、約10年もボランティアで活動。三沢さんの協力で合計数百万円が集まったという。

 18日には、衆院本会議で臓器移植法改正案の採決が行われる。健在なら、三沢さんの47歳の誕生日。高橋理事は「三沢さんからの最後のプレゼントになればいいですね」と話した。

[2009年6月17日8時57分 紙面から]

三沢さん 採決見守って 臓器移植を生前、強力に支援 / 東京新聞 2009年6月17日

 十八日の臓器移植法改正案の衆院採決を前に、特定非営利活動法人(NPO法人)「日本移植支援協会」(東京)のメンバーらが、ある支援者の急死で深い悲しみに包まれている。十三日に試合中に亡くなったプロレスラー三沢光晴さん(46)。先輩レスラーの死を機に協会の活動を強力に支援してきた。十八日は三沢さんの誕生日でもある。「三沢さんにいい報告ができれば」とメンバーは採決に望みをかける。 (神田要一)

 国内での臓器移植の普及活動をしている協会と、三沢さんとの出会いは二〇〇〇年。この年、プロレスラーのジャンボ鶴田さんが海外での肝臓移植の手術中に亡くなった。鶴田さんの妻保子さんが協会の活動に加わろうと連絡したことがきっかけで、鶴田さんの付き人だった三沢さんも支援者になった。

 「初めは怖かった。あまり笑顔を見せる人じゃなかったから」と協会理事の高橋和子さん(56)。「けれど、プロレスを知らない私たちに、『怖くないよ』と言ってくれた。まなざしが、すごく優しかった」と振り返る。臓器移植の支援や法改正に向けた啓発活動にも、三沢さんは「助けられるといいね」と快く賛同してくれた。


日本移植支援協会の高橋さん(右から3人目)らとボランティア活動をする三沢さん(中)。左から2人目のパネルは故ジャンボ鶴田さん=2001年、山梨県で
 三沢さんの熱心さが協会を後押しした。創業したプロレス団体「ノア」が全国へ興行に行けば、会場で選手たちが募金活動やドナーカードの配布に協力。時には協会のメンバーらを試合に招待し、リング上で募金を寄付するセレモニーもしてくれた。「おかげで臓器移植への理解は格段と高まった」と高橋さん。

 突然の悲報にメンバーらはショックを隠せない。だが、「三沢さんに応援してもらっている気持ちは、これからも持ち続けたい」と涙をぬぐう。臓器移植法の見直しを求める活動も「亡くなっていった人たちの気持ちを無駄にしたくない」との思いで続けてきた。


 協会は四つの改正案のうち、臓器提供の年齢制限をなくし、脳死を人の死と定義するA案を支持する。高橋さんは「三沢さんとここまで一緒に来た。きっと私たちと同じ気持ちだと思う」とA案の可決を願っている。

臓器移植推進に尽力、急死の三沢光晴さんに感謝状贈呈へ / 読売新聞 2009年6月17日

 プロレスの試合中に頭などを打ち、13日に死亡したプロレスラーの三沢光晴さんは、約10年間にわたり臓器移植の推進に尽力してきた。NPO法人「日本移植支援協会」は、来月上旬に予定されているお別れの会で、三沢さんに感謝状を贈ることにしている。

 同協会の高橋和子事務局長によると、三沢さんは、先輩プロレスラーのジャンボ鶴田さんが2000年、肝臓移植中に死亡したことをきっかけに、臓器移植に関心を持ち始めた。同協会のトークショーに出演したり、会報の表紙に登場したりする一方、三沢さんが社長を務めていた「プロレスリング・ノア」主催のプロレス興行会場では、移植患者への募金や臓器移植の普及啓発活動を支援した。

 同協会は、米国などに渡航して移植を受ける患者の募金活動を支援している。高橋事務局長は「三沢さんは、いつも温かく支援してくれた。亡くなられて本当にショックだ」と話している。


急死の三沢光晴さん、長年にわたり移植医療に協力 / 産経新聞 2009年6月17日

 広島市で13日夜、試合中に技を受けて急死したプロレスラー、三沢光晴さん(46)は、移植医療に関心を持ち、募金などを通じて長年活動に協力してきた。

 三沢さんは平成13年以降、自ら主催するプロレス団体「ノア」の全国の興行会場で、移植患者への募金や、ドナーカードの配布といった活動をファンに対してたびたび行ってきた。NPO法人「日本移植支援協会」(東京)によると、移植に関心を持ったきっかけは、先輩のプロレスラー、ジャンボ鶴田さんが、平成12年にフィリピンで肝臓移植手術中に死亡したことがきっかけだったという。

 同法人の高橋和子理事は「寛大で優しく、機関紙の表紙にも気軽に登場してくれた。多くの患者に勇気を与えてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱい」と人柄をしのんだ。

 三沢さんと親交があった巨人の原辰徳監督は14日、「寡黙だが、内に秘めた闘志、統率力などが素晴らしく、同世代の男として尊敬する人物だった」と話した。三沢さんの遺体は東京に運ばれ、近親者だけで密葬を行う予定。「ノア」の百田光雄副社長(60)は「(ファンとの)お別れの場はつくらないといけない」と追悼イベントの開催を示唆している。




2009年6月18日(木曜日) 讀賣新聞



2009年5月14日(木曜日) 讀賣新聞




新聞記事より



11月7日読売新聞・静岡版で10月25日「代表者の集い」での「藤田士朗」先生の講演での記事が掲載されました





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