ご支援ありがとうございました
 母・和代  2005/4

貴哉は、4月8日午後9時24分、東京女子医第2病院にて永眠いたしました。


わずか17年間の人生でしたが、私達親子には、とても長い月日を過ごした様に思えます。息子も、毎日毎日を精一杯生きていました。移植したら、大好きなサッカーができるようになって、ほかのお子さんのように元気に、学校生活が送れると思ってした手術でしたが息子は重度の拒絶反応を起こし、元気な体には、なりませんでした。しかしその中で、日々支援していただいた方々やご協力してくださった方々に感謝して、自分の道を探していました。いつも言っていた言葉が「自分探し」最後まで、探す事が出来たのかわかりませんが、最期はとてもいい顔をして逝きました。


将来は、作詞家になってたくさんのアーティストに自分の書いたうたを歌ってもらうのが夢でした。はっきり言って、明日の事もわからなかった息子の人生で、将来を語り出したのは、最近の事でした。あと、5年生きられれば、詩を1000作作れたら、死んでもいいと、言っていただけに私はとても嬉しくそれを応援していこうと思っていました。


2005年11月頃から再移植の為の募金活動をはじめた時に息子から、「自分の事だから、自分もこの活動に参加したい」といってもらい、息子の詩集を作り、販売をしてその収益を手術代にあてるようにしました。詩集が出来上がったのが、4月10日、息子は詩集を手に取ることなく、逝ってしまいましたが、私に再移植の辛さを残していきました。息子の本心がわかり今までの息子の人生の歩み方がそこには書いてありました。私のことを一番に思い、とても親孝行の息子でした。自慢の息子です。


日本全国の方々からたくさんの励ましや、ご支援、ご協力本当にありがとうございました。とてもありがたく、心から感謝しております。息子は、最初の移植から4年10ヶ月、頑張りとおしました。弱音は吐かず最期まで頑張りました。皆様の善意を無駄にしないようにしてきましたが、このような結果になり申しわけございませんでした。息子も精一杯生きていたのでどうかお許しください。


これまでの「たかやくんを救う会」の活動に賛同していただきありがとうございました。募金は、一日も早く支援して頂きました、団体などお返しできるところはお返ししていき、わずかでも残金が出ましたら、今活動していらっしゃる方に渡したいと思っております。皆様の納得いく終り方をしていくつもりですのでどうかご理解のほどを宜しくお願いいたします。